≪もくじ≫
「端午(たんご)の節句(せっく)」とは、何?
日本の文化であり風習である「節句(せっく)」。
節句は、季節の節目となる日を示す言葉です。
日本では古くから、四季折々の季節の区切りや節目に、
宮中では行事が行われていた。
天皇が貴族たちを集めて宴を行ってた日、
これを節句と呼んだのだ。
伝統的な年中行事を行う日として、
大切にされてきました。
江戸時代に入ってから大衆文化が花開くと、
一気に庶民たちも真似るようになりました。
節句には、一年の間にさまざまなものがありますが、
公的な行事や休日として定めました。
7月7日の「七夕(しちせき)の節句」(七夕(たなばた)。
五節句は明治時代になると廃止されましたが、
現在でも年中行事としてしっかりと根づいています。
その端午の節句は、古代中国においては、
月の初めの厄払い行事として生まれました。
古代の中国では、5月は物忌みの月とされており、
そういう月の中で、5月5日という、
5が重なる日付を重五(ちょうご)と呼び、
災厄や病気を祓う日となっていました。
その邪気を祓うために、薬草として、
独特の強い香りに魔よけの効果があるとされ、
菖蒲を使用する行事も行われていた。
この端午の節句に菖蒲を使用する風習が日本に伝わり、
端午の節会では、香りの強い菖蒲を身に付けたり、
菖蒲を丸く固めたものを飾ったりしました。
また、玄関口に飾る薬効のある植物の蓬(よもぎ)や、
災厄を祓う力があるとして菖蒲(しょうぶ)を飾って、
厄除けとする風習と交じり合って、
日本での端午の節句の風習の原型ができた。
そして端午の節句はいつしか、
「菖蒲(しょうぶ)の節句」と呼ばれます。
どうして端午の節句が男の子の節句になったの?
何事にも勇ましさを求める時代になり、
菖蒲(しょうぶ)に「尚武」「勝負」の読み方と、
その意味まで重ねられ、そうなると当然に、
武士たちが思いを預けたのは、自らの男児!
息子が尚武し勝負に勝つように、菖蒲の節句に祈る。
そのために武家は鎧兜を飾ってこの日を祝したのだ。
その後、五月人形も好まれるようになっていった。
そして、こどもの日といえば『鯉のぼり』
これも、鎧兜や五月人形ろ同じく、
息子の立身出世のために鯉のぼりを立てるようになる。
これは中国の故事が由来といわれている。
黄河の上流にある、竜門という険しい滝を、
鯉がさかのぼって見事に泳ぎあがる。
滝を登りきった鯉は、その勢いのまま天に昇り、龍となる。
これに想いを得て、鯉は男子栄達の象徴と武士たちは考え、
こぞって鯉のぼりを飾った。
男の赤ちゃんが生まれて、
初節句(はつぜっく)といってお祝いします。
生まれたばかりの赤ちゃんが、
丈夫で、たくましい男性に成長するようにとの、
願いを込めて江戸時代から続いているお祝いをする行事。
お嫁さんの実家から贈るのが普通なのですが、現在は、
可愛いお孫さんのために両家で折半することもあります。
五月人形は、前述のような意味があるのですから、
おじいさんやおばあさんが心を込めて自ら選びたいもの。
忘れちゃいけない柏餅(かしわもち)。
柏餅を包んでいるのはもちろん柏(かしわ)の葉。
柏は、昔から神聖な木とされており、
ほかの木と同じように紅葉するのだが、
このとき枯れた葉は落ちることなく冬を越す。
そして新しい芽が吹いてから、
役目を終えたように古い葉が舞い散っていく。
そんな性質から柏は、
「子供が生まれるまでは親が死なない」、
「跡継ぎが生まれ育ち見守ることができる」
縁起のいい樹となることから、
すなわち「子孫繁栄」に結びつき、
その葉でくるんだ餅は、
端午の節句の縁起の良い食べ物となる。
この柏餅(かしわもち)の習慣は、
江戸時代に関東で広がりましたが、
関西では粽(ちまき)を食べる習慣が残っています。
しかしながら、わんわん家族住む香川では、
関西でありながら、父ちゃんは子供の日は柏餅派。
「子どもの日」のこのようなさまざまな風習は、
現代にまで脈々と受け継がれています。
皆さんも5月5日の子供の日には、
スーパーなどでも風呂用の菖蒲を売っています。
この菖蒲の香りの強い湯に浸かり、
疲労回復や腰痛、神経痛、血行促進などの効能と共に、
しっかりと災厄を祓っておかなきゃですね。
※記事を見て、気になった方は、
もっと詳しくはネットで検索してみてくださいね。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。